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檸檬 ...2006/01/17(Tue) No.181 |
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| | 土曜日のジェネジャン、久々に議長堂本光一が見られました。 「命」という重いテーマでしたが、やはり光ちゃんにはこういう番組が似つかわしいように思います。 今回のテーマにかかわらず、光ちゃんには一つの事柄にきちんと向き合って真摯に考える姿勢が感じられるからです。 見ごたえがあったのですが、1時間半では余りにも短すぎましたね。 せめてあと1時間は欲しかったです。 おそらく収録ではもっと白熱した議論が展開されたでしょうに、ほとんどが中途半端で終わっていたのが残念です。
中でも「殺人は全然OK。人間は動物だし、殺しあうのは動物の本能だからしょうがない」と言ってはばからない女子大生についてはすごく気になりました。 最近頻発する短絡的な動機で殺人を犯す若い人などは、こんな考え方をしているのではないかと思い、彼女の無表情さにも怖いものを感じました。 ふかわさんが「説得されちゃうな」と言っていましたが、あの程度の意見は逆に説得しなければダメでしょう(笑) 動物は殺すことが本能なのではなくて、生きるということと種の保存が本能です。 そのために群れを守ったり食料を得るために殺すのであって、それ以外の目的で無意味に殺すことはありませんし、原則として同じ種は殺しません。 満腹しているライオンは目の前に餌となる動物が現れても襲わないということはよく知られています。 人間だけが同種の人間を殺し、生きるため以外の理由で人を殺すのですから、動物に失礼です(笑) 人間が人を殺すも殺さないのも、本能ではなくて思考能力の部分での行為ですから、小さいときからの情操教育や知育教育によって、人を殺さない理性というものが発達するのではないでしょうか。 言うまでもなく「殺したい」と思うことと、実際に殺すということは、全く違う次元の事柄です。 光ちゃんだけでなく、「殺したい」と思っても、普通の人が殺さないのはそこに理性が働くからでしょう。 「殺人OK」という考えを持つ人は、知性や情操の部分に欠落しているものがあるように思います。
奥山さんが亡くなったことは、私も去年その日に知りました。 「人はなぜ死を恐れるか、それは自分の存在が無になるからだ」と聞いたことがあります。 ですから、人は自分の死後も自分が生きていたと言う証を残したいと願う。 それは、子供だったり、何かの作品だったり、また単に思い出でもいいのです。 奥山さんがおっしゃった「自分のことを忘れないでいてほしい」というのは死んでいく人の究極の願いであり、ペトロさんが涙ながらに「お前ら、忘れてねえか」と訴えるのはそういうことだと思います。 日本には古来、法事というものがあり、それは死者を忘れないということであり、故人への供養になるわけですよね。 あの番組でたくさんの人が奥山さんを語り、見ている人が彼を思い出したことは、奥山さんへの立派な供養になったのではないでしょうか。 また、ペトロさんが「薄っぺらな言葉を言っちゃって奥山さんに申し訳ない」と言い、光ちゃんも「オレなんかもっと薄っぺらですから」と言っていましたが、人の死に対してはおそらくどんな言葉も薄っぺらな言葉となってしまうでしょう。 3年前、私の勤めていた職場の上司がまだ40代でしたが末期ガンとなり余命3ヶ月と宣告されました。 その3ヶ月、私はその方の残務処理をするために1日おきぐらいに病院に通っていました。 ご本人も告知されて余命3ヶ月とご存知でしたが、非常に淡々としていました。 でも私はだんだんと、その現実の重さに耐え切れなくなり、本当に苦しく辛い毎日でした。 日記に「孤独に生きているな〜と感じる」などと書いたのはこの頃です。 最後にお別れしたときはまだお元気でしたが、私はどんな言葉も思いつかず「頑張ってくださいね」としか言えませんでした。 それこそ、全くむなしい言葉を言ってしまったと、非常に悔やんだものです。 人の命の重さは、結局自分が生きている間は本当にはわからないものなのかもしれません。
ペトロさんが最初から苛立ちを隠せない様子で、それが奥山さんのVTRが流れたあとの「テレビというのは作り物だ、お涙頂戴だ、とわかってるけど」という発言で、彼の腹立たしい気持ちがわかったように思いました。 確かに、テレビでは視聴率を取ると言う大命題がありますから、番組の編集は興味本位になり、人の死もネタにされてしまう、それがペトロさんには我慢できなかったのでしょうか。 でも、あの番組には「自分の命も人の命も大切にしなさい」というメッセージを伝えたいと言う意思は確かにあると思います。 それが多少なりとも伝われば番組としての意義があるはずです。 また、光ちゃんが今までに何回か「生きていることが幸せ」と言うのは、こういう番組での体験からかなと、ふと思いました。 もしそうだったら、それも意義あることです。
私の母は、私の小さいときから、人が自殺したと聞くと「『死ぬもの貧乏』『死んで花実が咲くものか』と言うんだよ」と言っていました。 本来人は生きるために生まれてきたのであり、寿命をまっとうせずに死んではならないのです。 ですから、Endless SHOCKでもコウイチは死なないで欲しいのですが・・・
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