Endless SHOCK に関する感想
(2006年〜2007年)


檸檬
     ...2006/01/17(Tue)  No.181  

土曜日のジェネジャン、久々に議長堂本光一が見られました。
「命」という重いテーマでしたが、やはり光ちゃんにはこういう番組が似つかわしいように思います。
今回のテーマにかかわらず、光ちゃんには一つの事柄にきちんと向き合って真摯に考える姿勢が感じられるからです。
見ごたえがあったのですが、1時間半では余りにも短すぎましたね。
せめてあと1時間は欲しかったです。
おそらく収録ではもっと白熱した議論が展開されたでしょうに、ほとんどが中途半端で終わっていたのが残念です。

中でも「殺人は全然OK。人間は動物だし、殺しあうのは動物の本能だからしょうがない」と言ってはばからない女子大生についてはすごく気になりました。
最近頻発する短絡的な動機で殺人を犯す若い人などは、こんな考え方をしているのではないかと思い、彼女の無表情さにも怖いものを感じました。
ふかわさんが「説得されちゃうな」と言っていましたが、あの程度の意見は逆に説得しなければダメでしょう(笑)
動物は殺すことが本能なのではなくて、生きるということと種の保存が本能です。
そのために群れを守ったり食料を得るために殺すのであって、それ以外の目的で無意味に殺すことはありませんし、原則として同じ種は殺しません。
満腹しているライオンは目の前に餌となる動物が現れても襲わないということはよく知られています。
人間だけが同種の人間を殺し、生きるため以外の理由で人を殺すのですから、動物に失礼です(笑)
人間が人を殺すも殺さないのも、本能ではなくて思考能力の部分での行為ですから、小さいときからの情操教育や知育教育によって、人を殺さない理性というものが発達するのではないでしょうか。
言うまでもなく「殺したい」と思うことと、実際に殺すということは、全く違う次元の事柄です。
光ちゃんだけでなく、「殺したい」と思っても、普通の人が殺さないのはそこに理性が働くからでしょう。
「殺人OK」という考えを持つ人は、知性や情操の部分に欠落しているものがあるように思います。

奥山さんが亡くなったことは、私も去年その日に知りました。
「人はなぜ死を恐れるか、それは自分の存在が無になるからだ」と聞いたことがあります。
ですから、人は自分の死後も自分が生きていたと言う証を残したいと願う。
それは、子供だったり、何かの作品だったり、また単に思い出でもいいのです。
奥山さんがおっしゃった「自分のことを忘れないでいてほしい」というのは死んでいく人の究極の願いであり、ペトロさんが涙ながらに「お前ら、忘れてねえか」と訴えるのはそういうことだと思います。
日本には古来、法事というものがあり、それは死者を忘れないということであり、故人への供養になるわけですよね。
あの番組でたくさんの人が奥山さんを語り、見ている人が彼を思い出したことは、奥山さんへの立派な供養になったのではないでしょうか。
また、ペトロさんが「薄っぺらな言葉を言っちゃって奥山さんに申し訳ない」と言い、光ちゃんも「オレなんかもっと薄っぺらですから」と言っていましたが、人の死に対してはおそらくどんな言葉も薄っぺらな言葉となってしまうでしょう。
3年前、私の勤めていた職場の上司がまだ40代でしたが末期ガンとなり余命3ヶ月と宣告されました。
その3ヶ月、私はその方の残務処理をするために1日おきぐらいに病院に通っていました。
ご本人も告知されて余命3ヶ月とご存知でしたが、非常に淡々としていました。
でも私はだんだんと、その現実の重さに耐え切れなくなり、本当に苦しく辛い毎日でした。
日記に「孤独に生きているな〜と感じる」などと書いたのはこの頃です。
最後にお別れしたときはまだお元気でしたが、私はどんな言葉も思いつかず「頑張ってくださいね」としか言えませんでした。
それこそ、全くむなしい言葉を言ってしまったと、非常に悔やんだものです。
人の命の重さは、結局自分が生きている間は本当にはわからないものなのかもしれません。

ペトロさんが最初から苛立ちを隠せない様子で、それが奥山さんのVTRが流れたあとの「テレビというのは作り物だ、お涙頂戴だ、とわかってるけど」という発言で、彼の腹立たしい気持ちがわかったように思いました。
確かに、テレビでは視聴率を取ると言う大命題がありますから、番組の編集は興味本位になり、人の死もネタにされてしまう、それがペトロさんには我慢できなかったのでしょうか。
でも、あの番組には「自分の命も人の命も大切にしなさい」というメッセージを伝えたいと言う意思は確かにあると思います。
それが多少なりとも伝われば番組としての意義があるはずです。
また、光ちゃんが今までに何回か「生きていることが幸せ」と言うのは、こういう番組での体験からかなと、ふと思いました。
もしそうだったら、それも意義あることです。

私の母は、私の小さいときから、人が自殺したと聞くと「『死ぬもの貧乏』『死んで花実が咲くものか』と言うんだよ」と言っていました。
本来人は生きるために生まれてきたのであり、寿命をまっとうせずに死んではならないのです。
ですから、Endless SHOCKでもコウイチは死なないで欲しいのですが・・・


イカリ
     ...2006/01/18(Wed)  No.182  
光ちゃん、SHOCKサントラ盤1位、おめでとうございます〜
占いの話ではありませんが、新年早々幸先のよいスタートが切れましたね、今年は楽しみです〜♪

以前、掲示板に、そろそろSMGOを更新してくれないかしら?と書いたら、その日に更新されて、あら通じたのかしら?と(勝手に)喜んだものでした〜(笑)
「堂本兄弟」を見た後、掲示板に「お仕事、頑張って〜♪」(16日)と書き込んだら、
次の日に、SMGOで、「稽古頑張ります。」と(返事が)来ました〜ありがとう〜(^O^)/
あ〜本当に繋がっている〜!!
と思っている痛い痛いファンです(笑)

ちょうどそのSMGOが更新された頃、PCと印刷機の接続関係が悪い中、必死で皆さんが書き込んで下さったお誕生日メッセージを刷っていました。
同じページを2度刷ってしまうので、大体1ページ4枚ですから、それが終わって同じ動作を繰り返すのでそこで抜き取らなくてはと眼が離せません〜
レンタル掲示板の宣伝は消したいし、と設定を変えたり、試行錯誤しながら、1人分も欠けないようにチェックを入れながら作業しました。
その間、メッセージを読みながら、以前、TOSHIKOさんが読みながら印刷した時、「なんだか胸がいっぱいになってしまいました。皆さんの溢れんばかりの愛情で、胸も苦しくなってしまいました」と言っていたこと思い出しました。
同じことを感じました〜、本当に愛に溢れ、それはずっしりと重く、心のこもったメッセージばかりでした。
光ちゃん、愛されていますね〜。(^O^)/
そんな中で読んだSMGOで、光ちゃん、ますますSHOCKにはまって、知ってか知らずか、「薦めちゃえ薦めちゃえ」と言っていたサントラ盤に関してはスルー。(笑)
おやおや、ファンに一言はないのかいなぁ?・・・と、親心で可愛い息子に突っ込んでみました〜。(^o^)

それにたっぷりのSHOCK語りで、光ちゃんの頭の中までちょっと覗けて、お得かしら〜。
「凄く哲学的な話ばかりしてしまい」これはジェネジャンもあったことだし、SHOCKのストーリーを考えても、なんとなく分かる気がします。
実は私も色々と考えています・・・。(檸檬さんも書いていますが↓)
私は、先週野田秀樹さんの「贋作・罪と罰」を観劇してきたのですが、野田さんの舞台ははじめてで、最初わざとバタバタと出す音と、叫ぶようなセリフの言い方に入れるかな?と思っていたのですが、次第に言いたいことが分かってくると、俄然おもしろくて嵌りましたね〜。
勿論文豪ドストエフスキーの「罪と罰」と、幕末の大政奉還の頃の話と被せてあるのですが、ご自身の話としてこんなこともプログラムに書いてありました。
学生時代に大学の構内で芝居の宣伝ビラを配っていた時、隣でヘルメット姿で政治ビラを配っていた学生に、5〜6人のヘルメットを被り鉄パイプを持った群集が一瞬にして殴りかかり殺人者となり、蜘蛛の子を散らすよう逃げたそうです。
野田さんはその間一言も発せなかったそうで、その後まもなく大学をやめて芝居に打ち込むことになり、その死についてまったく意味がなかったと言っていいものどうか、今でも迷いながらこの芝居をやっている、と。
そして芝居の最後の方で「この世の中、殺していい命なんかあるはずがない!」と叫ぶセリフは実に重いです・・・
それから、この舞台には、宇梶剛士さんも出ておられました。
でも、この話は長くなるので、この辺で置いておいて・・・

皆さまの熱い思いを、本日出してきます。
勿論光ちゃんのハートに届くと信じて〜〜♪


檸檬
     ...2006/01/18(Wed)  No.183  

仕事をこれからも続けることにして、今その研修を受けています。
研修を受けて帰って来るとかなり疲れてしまい、日記にジェネジャンについて書こうと思っていたのがなかなか書けず、きのうやっと書きました。
最後が「ですから、Endless SHOCKでもコウイチは死なないで欲しいのですが・・・」と唐突にSHOCKが出てきて、変な終わり方です(^^;
自分としては唐突ではないのですが(笑)、意味が通じるように説明した方がいいかなと思っていたところに、Show must go on が来ました〜。
どうやら考えていることがイカリさんとかぶっているようですが(笑)、
「今回台詞等を作っていくにあたって自分自身もよりこのストーリーやコウイチという人物に向き合えましたが、スタッフと打ち合わせをしていると、凄く哲学的な話ばかりしてしまい、人間ってなんだろねってなってしまいます。」
とあるので、私も前回見たときからずっと思っていることを「コウイチは死なないで欲しい」の説明を兼ねて書きます。

SHOCKというのは、ほかのミュージカルと違ってSHOWがメインのものだと私は思っています。
ですから、ストーリーはSHOWとSHOWをつなぐものとしての役割であって、あまり重要ではないのかなと解釈していました。
プレゾンは、だいたいはそういう感じだと思います。
ですが、哲学的な話ばかりになる程ストーリーを深く作りあげているというのであれば、話は違ってきます(笑)
今回、台詞の手直しなどがあるのかもしれませんが、前回について言えば、私は大きな矛盾が二つあると思っています。
一つは、コウイチの行動と人格です。
「ロングランよりも次回作品を考えている」と一人主張して、仲間から反対されると、カンパニーに結束がないと嘆いている。
舞台上のトラブルで「どんな状況にも対応するのは当たり前のことだ」とツバサを非難しておきながら、真剣をツバサに渡し「SHOWを続けろ」と迫って自分を切らせる。
それ以降の舞台が続けられなくなるというShow must go on精神とは正反対の最悪の行動で、のちに自分自身「対応できなかったのは自分の方だ」と悔いています。
ツバサが独白で、「コウイチの暴走にみんなが振り回されて犠牲になった。『SHOWを続けろ』って何を続ければいいんだ!」と叫ぶ言葉は、私から見ると全部ごもっともなんですよね。
ところが、そこまでコウイチを恨んでいるはずのツバサが、コウイチが実は死んでいるとわかると、いきなりコウイチを許してしまうというのが第二の矛盾です。
そしてラストでは、コウイチがヒーローとなって昇天していくのですが、コウイチのそれまでの行動や考え方は舞台人としてヒーローとなり得るのでしょうか。

このストーリーをそのままに矛盾をなくすには、真剣はツバサが自分で最初から持っていればいいのではないかと思います。
ただし、コウイチを殺すつもりではなく、SHOWを止めてコウイチを困らすためです。
コウイチは回避することができず、SHOWを止めたくないために覚悟を決めて切られる。
そのせいで、ツバサは改心してコウイチを責めるのではなく、自分を責めて悔い改める独白をする。
そこでかつての友情がよみがえり、コウイチのShow must go on精神も讃えられるべきものとして昇天していく。
平凡ですが、この方が展開としては納得できるものになるのではないでしょうか。

でも、私は舞台でも命は大切にしてほしいと思うのです。
舞台上で人が血しぶきを上げて死ぬ、などという恐ろしいものにわざわざしなくても、テーマは十分に生かせるはずです。
元々、ジャニーさんの舞台はたいてい誰か死ぬのですが、死ぬならせめて病死にしてほしい。
なぜなら、死者と共に殺人者まで出るのは哀し過ぎる。
私としては、コウイチが全快してハッピーエンドで終わってほしいと思っています。
「今立ち止まったらそこで終わりがきてしまう」ではなくて、「今死んだらそこで終わりがきてしまう」というのが真実ではないでしょうか。

《追記》
最後に肝心なことを書き忘れました。
光ちゃんの問いかけ
「皆さんは何に向かって走ってますか? 何故全力で走るのですか?」
に私はこう答えます。
自分の人生を全うするために走っている。
自分の人生をより良く生きるために全力で走る。


イカリ
     ...2006/01/29(Sun)  No.187  

寒さ厳しい中、暖かい春が来てそれが活き活きと花開くまで、写真のように頑張っている花もあります。
きっと稽古場で頑張っている光ちゃん達も舞台の幕が開くまでそんな気持ちなのかな〜なんて想像しております。(笑)
昨日今日とEndless SHOCK先行試写会をやっていますね。
本日はご本人が挨拶に登場とか・・・帝劇の近くなので、あり得ると思っていました〜
ただ、これは残念ながら私は外れました、そして、FCのSHOCKチケットの方の本人限定郵便は全員ではなかったらしいのですが、こういうのには大当たりです。(¨;)
郵便局の方は、保健証の番号を控えて帰られましたが、これは事務所から何か問い合わせでもあるのでしょうか?
こういう郵便物ははじめての経験でした。

雑誌も引き続きの大ラッシュで、これは伸べにして頂くと日々幸せだったのですが・・・まあ仕方ありません、チェックに勤しんでいます。(笑)
「LOOK at STAR」で、「僕が今も舞台をやり続けているのは、やっぱり舞台でしか味わえない”魅力”があるから、舞台の本番って、稽古で積み重ねた自分と、その結果生まれる"プラスα"の何かを感じることが出来て・・・それが舞台の魅力なのです。ステージってその”プラスα”がでなければ、いいものにならないのです。」
こういう話はつくづく光ちゃんは、舞台とは生きていると実感できる場所とも言っていましたが、本当に舞台が好きなんだなーと感じさせられますね。

先日、番組「ウチくる!?」に片山右京さんが出ていらしたのですが、若い頃からF1レ-サーをめざし、お金のない時に、周りに協力して工面してもらい優勝した挙句にそのクルマを売ってしまったとか沢山のエピソードが語られました。
また、そんな右京さんを”ひどい奴だ!”と当時お世話した方がゲストで出演され、右京さんはこの方のお陰で今の自分があるとその後の交流を語っておられました。(笑)
レースに臨んでいるときや、今また訓練して山に挑戦しておられるストイックな一面以外に、とても人間味のある感じが伝わりました。
その後右京さんの知り合いとして川井一仁さんも登場されました。
最近特に親しみを感じるのは、やはり光ちゃん繋がりだからでしょう〜(笑)
お二人にはシューマッハもバトンもライコネンも皆友達付き合いと、楽しい会話で大いに盛り上がっていました。(笑)
そういえばF1特集号で、その川井さんに、「光一君はドライバーのことはあまり聞いて来ない。」と言われていましたね。
光ちゃん自身も「ドラバーが本当に想像も出来ないドラマを生む、それもレースの面白さだけどその一方で、各チームが最高の技術を投入してマシンを作り投入している。それでどこが速いかを競う」そこに魅力を感じているようですね。
その言葉はそのまま「F1のクルマって本当に美しいですよね。それも美しいものを作ろうとして出来たんじゃないんです。どうすれば速く走れるかを追求した結果、あの美しい形が生まれている。そこがすごい魅力的なんです。」(Style)という言葉に集約されているように、技術的・機能的なことにとても感心が強い気がします。

だからでしょうか、最近光ちゃんが語る舞台作りも
「全てはパズルのようなもので、細かく計算しつくされ、ひとつの作品ができあがる。さらに良いものにものにしようと思ったら、その計算はもっと細かくなったりする。」(Top Stage)どんどん細かくなっていくようですね・・・。
そして光ちゃん視線の「Endless SHOCK」のこだわりのDVDということですから、光ちゃんの目に置き換えて見るのか?私の目に置き換えて見るのか?と、体験してみたいと思います。(笑)

そして、30歳にはどんな男性になっていたいですか?に答えて「あえて言葉にするなら"CREATIVE"な自分になっていたいということでしょうか。」(Biss)と語っていました。
それなら、光ちゃん、もうすっかり”ちまた”で広まってしまった新作の話・・・、是非とも挑戦してみて欲しいと思います。
はやく”光一チーム”なるものを作って臨めば可能だと思いますし、そういうチャンスは中々得られるものではないですから、是非ともGO!サインを〜。(^o^)
さらに観客の楽しめる舞台づくりを期待したいですね〜。


イカリ
     ...2006/02/03(Fri)  No.188  

いよいよ2月ということで、SHOCK開演も目前に迫って来ました。
「Endless SHOCK」のDVDの出来もとても良いようで、楽しみがつづきます〜♪
それに恒例のTVぴあの「SHOCK」連載もはじまり、もちろん5号連続で購入させていただきますよ。(笑)
またTVガイドもとてもいいですね〜
光ちゃんの愛すべき職場、神聖な舞台という感じがします。
観客の入らない劇場では、まさに孤(HITORI)ですが、舞台は観客が入って完成すると言っていた光ちゃんですから、開演ベルとともに、どう化けてくれるのかとても楽しみです。(笑)
写真のこちらの花も春の日をめざして、頑張っています〜♪

そこで、また光ちゃんからお返事を頂いたようです〜〜(笑)
ご丁寧に、「今回で終わりだなんて一言も言ってないから誤解しないで!(笑)」と・・・まるで前回の私の日記のお返事のような?(笑)
そして、TVガイドのほうでは、「まったくあらたなものもいいけれど、俺の意見としてはそうはしたくないかな・・・」と言われてしまいました。
これはちょっと残念です、そう固辞しなくても〜〜(笑)
まあ30歳もすぐですし、光ちゃん的には秘密裏に進行させて、実は出来ましたというほうなので、これは期待しないで期待しておきましょう〜(笑)
TVガイドの「チームと自分と変化と」して、昨年よりさらにより良いものになっているようで、とても楽しみです。

話は変わりますが、正月に「里見八犬伝」(滝沢君や渡部さん、長塚さん、菅野さん等)がありました。
まさに戌年の今年に相応しい作品として、楽しみにしていました。
私は以前NHKで辻村ジュサブローさんの人形劇「新八犬伝」が面白くて、はまった口です。(笑)
その長編物が、5時間になるというのも驚きでしが、
後日ビデオを見返して驚いたのは、原作の冒頭の「八房」という犬が出てこなくて、これは話の途中から録画したのかと何度見返しても、陰も形もなかったことでした。
黒い八つの房が連なった模様がある大きな白犬で、これが、犬で始まる名を持ち、牡丹の痣と文字の浮き出る水晶の珠を持つ八犬士と大きなかかわりがあるのです。
里見家の伏姫(仲間さん)の名前そのものも人と犬を表してるというような言葉遊びも面白い作品なのです・・・(それ故に戌年にという私の単純発想ですが)

後日、光ちゃんの雑誌買いで本屋に通ううちに、このテレビで放映した脚本(大森美香)を原案として文庫本(植松三十里)になっているのを見つけました。
やはり八房から物語が始まり、脚本段階ではあったものが、わざわざ?省かれたというのが分かり、その後まだ見ていなかった後半を即見ました。(笑)
すると、このドラマはドラマとして充分楽しめるし、完成しているのです。
衣装担当のワダエミさんが2年前から取り掛かられた衣装も、綺麗でしたし、勿論この時代にはあり得ないでしょうが、元々この話が、歴史物という話でなく滝沢馬琴の頭の中で作られたフィクションであり、ファンタジーだから、まったくそれでも構わないと思いました。
それはTBSのHPに書いてあるように、たしかに「今の時代にしか出来ない、進化した『里見八犬伝』」でした。(笑)
原作の勧善懲悪(善事を進め悪事をこらしめる)でバタバタ切り倒された大勢の敵方が、八つの珠が繋がり、玉梓の呪いが解けると、フィルムの逆回転が起こったように生き返り、立ち上がり去っていくのです。
そして信乃(滝沢君)は言います「俺たちの願いはごくかんたんなことなんだ。愛する者と、愛する土地で 生きて死ぬ。それだけ、それだけなのに。」「正義はいつも裏を返せば傲慢で、何かの犠牲なしに平和はないのか?生きることのために人を殺すことに終わりはないのか?終わりは本当にないのだろうか?」
最後に「百年後千年後、この世の中はどうなっているだろう、まだ戦いはつづいているだろうか?分からない。でもきっと希望ある未来が訪れていると、そう信じて・・・。」これでドラマが終了します。
プロデューサーの土井裕泰さんの言葉に、犬に難しい演技をさせなくても、人の感情の部分で訴えれば良いと思った。(脚本の前半は落として、脚本のない部分を後半につけてありました)
「世界で実際に戦争が起き、ドラマの中で人が死に、血が流れて行く中で、『それはどういうことなんだろう』と考えざるえない状況になってしまいました。あまり説教臭くないエンターティメントとして伝えられるだろうかと悩みながら作った。」とありました。
その思いは見ているものにも充分伝わりましたし、それに正月に相応しい番組だったと思いました。
作品はこうして原作から離れて、創り手の思いの込められたものになるのですね・・・、またそれがプロデュースのおもしろさですよね。

SHOCKは、作・構成・演出はジャニーさんですから、いいのですが、またコウイチと光ちゃんは同じではないというのも充分わかるのですが。
ただ、観客を前にして、舞台中に受け取ったものが真剣と分かった時、実際光ちゃんならどうするか?どう対処するか?
それが、私はコウイチのしたこと(ツバサ・リョウに渡して、まるで挑発するように演技をすすめる)と大きくかけ離れ過ぎるように感じるのです。
これは昨年はじめて Endless SHOCKを 見たときに自分の感想としても書いているのですが、当然、ツバサ・リョウに渡すのはコウイチの刀で、コウイチ自身が真剣を持って無事に舞台をつとめようとするのでは・・・(結果はどうあれ)
実際光ちゃんがプロデューサーだったら、どう描くか?そうでなくても沢山の光ちゃんの時間と思いがこもった大切な作品だからこそ、そこは違ってくるのでは・・・そういう気がするのですが・・・
Endless SHOCK が続くのなら、そこを考えて欲しいなと思っています。


檸檬
     ...2006/02/18(Sat)  No.192  

SHOCKのDVD、うわさにたがわず素晴らしい映像作品ですね〜!
SHOCKという舞台の魅力を余すところなく完璧に、もしかしたらそれ以上に見せてくれているかもしれません。
プロデューサー光一の才能、手腕、さすがです!
何よりも多様なアングルが的確に使われていて、劇場では絶対に見られない部分が見られるのがほんとにいいですね。
もちろん生の舞台は映像では得られない迫力と感動があるわけですが、いかんせん座席という制約があって全部が見通せるものではありません。
特にイカリさんや私のような席運がない人間は、V・W・X列のそれもはじっこが定番席(笑)←今年もです〜(T_T)
下手や上手の芝居が見切れるばかりじゃなく、センターの光ちゃんでさえ前の人の頭がかぶって見えないことがあります。
決して、光ちゃんの言うように「お客さんが“勝手に”アングルを決めて見るもの」じゃなくて、勝手にアングルを決められて見るものですからね(笑)
はるか後方からでは見えない、演技しているときのみなさんの表情がしっかりと見えるので、芝居にも余計引き込まれるようです。
石川さんの世界一の技を、あれだけじっくりとアップで見られるのも貴重です。
そして、とにかく光ちゃんの美しさが絶品でした〜(*^^*)
編集しているときに、自分のことを美しいとやっぱり思うのかしら、見慣れてしまっている顔だから何にも感じないのかしら、などと結構マジメに考えてしまいました(笑)
大画面で見られなかったのがとっても残念です。
せっかくだから過去に遡って、せめてミレニアムSHOCKだけでもDVD化してくれたらと思います。
前に書いたことがあるかもしれませんが、私はミレニアムSHOCKが、ストーリーとしては一番好きです。
ハッピーエンドだし、兄弟愛、仲間同士の友愛が暖かく描かれていました。
DVDのHISTORYの中でミレニアムのときの光ちゃんが若々しくて幼いほどの表情なのも、胸キュンです。
記録としても残しておくべきだと思いますが、そういう要望が受けいれらることはきっとありえないでしょうね(^^;

来年もEndless SHOCK を再演するという発表は予想した通りでしたが、「SHOCKをやめないでくれ」という要望はいったいどこにそんなにあったのか不思議です(笑)
少なくとも私の周りの人たちは誰も言っていませんでしたから。
Endless SHOCK は光ちゃんが精魂傾けて作ったものだから愛着があるのはわかりますが、新作だって光ちゃんが全部作ることになっているのですから、正直なところファンとしては光ちゃんのものならどちらでも良いし、それは光ちゃんの才能を信じているからです。
コウイチは「俺は次のショーをもう考えている」と言ってリカやツバサから反発されますが、現実の光ちゃんはロングランを選択したわけですね。
そう思っていたら、14日に観たときに、8日にはあったリカの「ロングランこそが私たちの夢じゃない」という台詞がなくなっていたのでビックリしました。
これが現実と関係あるのかないのかはわかりませんが、ずいぶん細かい手直しをするものだな〜とは思います。

今回のオリスタは、なかなか良かったです。
DVDのメイキングを見たり、雑誌やパンフの光ちゃんの発言を読んだり、そして去年と今年の舞台を観る中で、市川さんの言う「濃厚な自己主張もまた美しい」というのが、とても納得できます。
「はにかみながらも高揚した気分を抑えきれず・・・・・嬉しそうに話し始めた」という文章に市川さんの暖かい目線を感じ、「“愛すべき”表現者魂の持ち主だ」という言葉に私たちファンと同じ匂いを感じるのは考えすぎ?(笑)
市川さんのSHOCKレポが楽しみですね。


イカリ
     ...2006/02/20(Mon)  No.193  

季節は進み、庭に水仙が咲いていました、でも例年より遅く、今年の春の開花時期は軒並み遅れるのではないでしょうか。
ようやく派遣家政婦業にも慣れてきました。(笑)
半日仕事と思っていたのが、電車の連絡が悪く、娘の家に行くだけでも2時間近く掛かることがわかり、往復4時間とどうしても1日仕事になってしまいます。
7時頃に帰宅して我が家の夕飯作りで、後はへとへとです。
それでも夜には家族が見たがるベビーのビデオ編集をしてビデオ会をしています。(笑)
そのビデオカメラを持ちつつ2軒の買い物をしているので、最近肩が凝っているのでしょう、今頃気がつきましたね・・・(¨;)
今は彼のお母さんも入って下さったので、今日は私の休みの日でほっとしています。

光ちゃんのSHOCKも早2週間が経ちましたね。
ようやく待ちに待ったDVDも出ましたし、相変わらずの雑誌ラッシュは続いています。
そう先週は再演決定の発表もありました。(檸檬さんも書いていますが)
私的に前回の発表の時に、新作が楽しみと思った口なので、今回の発表で早々と訂正を入れなくても・・・と、ちょっとがっかりした組です。
もう来年は28才だし、新作を形にしながら30歳を目途に完成させてもいいのではと思ったもので・・・(一度に完成品は難しいだろうし)
各スポーツ紙に「終了はお客さまの声を無視することになる」「ファンの声に答えることも大事」と書かれていて、ちょっとびっくりしました。
檸檬さん同様に、その際のファンの声とは、どこに集まった声なのでしょうか・・・
昨年の夏や秋にDVDの発売や再演に沢山の要望が寄せられたと思うのですが、具体的な日時はなくとも、その時に”予定あり”とは言えなかったものでしょうか?、で、今回だけファンとは・・・
まあ、どんどん続きそうな様子で、それはそれで楽しみがEndlessです。(笑)

前回日記で真剣の扱いについて、「観客を前にして、舞台中に受け取ったものが真剣と分かった時、実際光ちゃんならどうするか?どう対処するか?それが、私はコウイチのしたこと(ツバサ・リョウに渡して、まるで挑発するように演技をすすめる)と、大きくかけ離れ過ぎるように感じるのです。」と書いたのですが・・
また光ちゃんからパンフで、お返事を頂いたようです。(1人思い込みですが)(笑)
「今立ち止まったら、そこで終わってしまう」と考えるのは僕とコウイチの共通している部分で、「僕はコウイチの生き方を肯定している」と書いてありました。
そうなんだ、私とは真逆だったようですね。(¨;)
やっぱり私には、真剣を受け取ってから、見栄を切って終了する、あの数分の演技を続けるために、命を捨てること(結果)がどうしてもわかりません。
来年は死なないコウイチバージョンで進化させて欲しいな〜、生きているから挫折も苦節も喜びもあるのだし・・・舞台も続けられる。
本当に素敵なパンフですね、読み応えがあって、今までの中でも一番パンフらしくて好きです。
読んでいるとカンパニーの構図が浮かび上がってきますから、光ちゃんは信頼されていますね〜
石川さんはじめ皆さんのコメントも素敵、あのカンパニーの結束があれば、光ちゃんと共にどこまでも突き進んでいけそうです。
そして、待望のDVDを受け取って、素敵なジャケット写真なのですが、やっぱりこれも天使に十字架・・・と、コウイチの死とリンクさせてあるようです。
とても綺麗な光ちゃんですが、横顔のが一番いいかな〜(笑)

まあこんな具合に私の頭の中では、光ちゃん=コウイチ?ですべての思考が、止まったままです。(笑)
しかも、初日観劇を果して、光ちゃんからもらった、「なぜ、走り続けるのか?分かっていただけたでしょうか」の問いにも、あの舞台からまだ答えが出せないでいます。
家政婦業の仕事の前に素敵なDVDも、見てしまわなくては〜光ちゃんに負けないように、前に進まなくては・・・
そして、また光ちゃん問答がはじまるのかしら〜、それも楽しみです。(笑)


檸檬
     ...2006/02/28(Tue)  No.197  

2月って本当に早いですね〜(^^;
明日から3月で、いつもなら『春が来る』という心弾む気分になるのですが、SHOCKが終わる月と思うと何とはなしに寂しさを感じたりします。
自分が観に行かなくても、今光ちゃんは舞台上にいるとか、開演何分前だとか、光ちゃんの動向をリアルに感じられるからでしょうか。

今日は会報58が届きましたが、光ちゃんのSHOCK語り、びっくりでした。
あそこまで逐一克明に、台本やテーマについて説明する作者や演出家って普通いませんからね。
でも、おかげで、光ちゃんと私とどこが考え方の違っているところか、どこに私が矛盾を感じているかよくわかりました。
ここでそれを論じても、人それぞれの見解の相違だからこれは仕方がないですね。
ただ、「伝えようとすればするほど・・・グダグダした説明セリフになっちゃうんだよね」と言っているのは「その通り」と思います。
芝居や映画やテレビドラマでのメッセージというのは、言葉で説明しなくても伝わるものだし、そのためのセリフは必要ないんじゃないでしょうか。
光ちゃんは理系の人だから、1+1=2と考えているかもしれませんが、芝居や小説は1+1=10ともなります。
なぜなら、読む人、観る人の想像力がそこにプラスされるからです。
それから、「ちゃんとショーも芝居も連動しているものが作りたかった」と言っていて、だからやっぱり夜の海の中に4人のセリフを入れて来たんでしょうね。
でも、ミレニアムSHOCKのときから、ちゃんとショーと芝居は連動しているものとして出来ていたように私は思うのですが。
そして、「自分が消えることを知りながらそれでも前に進んでいるんだから・・・でも、それが前に進むということ?生きるということ? って頭が混乱してくる」というのは、私も混乱してきます(笑)
それはやはり、コウイチが死ぬという設定に矛盾があるからではないでしょうか。
こうした光ちゃんの哲学論が、私も含めて観客総評論家という様相を呈してきてしまっていますが(笑)、舞台はもうちょっと純粋に明るく楽しめる方がいいかなあとも思います。


檸檬
     ...2006/03/14(Tue)  No.204  

イカリさんの沈丁花の写真、甘い香りが漂ってくるようですね〜♪
もうすっかり春めいてきたと思えば、昨日今日は小雪がちらついたりして冬に逆戻り。
こんな季節は体調を崩しがちですが、光ちゃんもカンパニーのみなさんも、あと半月、身体に気をつけて頑張って下さいね。

先日、光ちゃんがあまりにもSHOCKについて語るものだから、私を含めて観客総評論家という様相を呈してきた(笑)と書きましたが、最近はさらに活発ですね。
論じ合うのも観劇の1つの楽しみ方ですし、光ちゃんが掲示板を見ることはないにしても、いろいろな意見があるということが何かしらの形で伝わったらいいなとも思います。
コウイチの死を肯定するか否かが意見が分かれるところですが、両方の意見を読むと、どうも根本のところでかみ合っていないような気がします。
肯定派の方たちはストーリーや台詞、コウイチやツバサの行動をいろいろと分析してまるで注釈をして下さってるかのようですが、解釈というものは人それぞれでいいんじゃないでしょうか。
否定派の私などは、物語の解釈は別としてただ単に「コウイチが死ぬ」という設定に納得ができないと言っているのです。
その理由も単純で、Show must go onがテーマなら、生きていてこそのShow must go onだと思うからです。
そもそも人は「何があっても生き続けなければいけない」という人生のShow must go onを演じているものではないでしょうか。
「死んでも走り続ける」というのはパラドックスにしか思えないし、「なぜ走り続けるのか」という問いかけをメッセージとして、光ちゃんは答えが分からないと言っていますが、それは「コウイチは消えることを知っているのに」という前置きが付くからです。《会報58》
以前に光ちゃんは、雑誌のインタビューで「舞台は生きていると実感できる場所」と何度か答えています。
光ちゃんだけでなく人は誰しも「(自分なりに)生きていると実感するために」走り続けているのではないでしょうか。
おそらくこの根本の死についての考え方や経験が、光ちゃんと私たちでは違っているのだと思います。
それはそれで考え方の相違なので仕方がないものかもしれません。
でも、市川さんに「“アイドル・光一”が“SHOCKコウイチ”を演じて婦女子を泣かせる」と言われては、光ちゃんとしても本意ではないのではないでしょうか。
今時、婦女子などと言われる私たちも不本意ですよ(笑)
ましてや、コウイチが死んでは泣けませんから。


イカリ
     ...2006/03/30(Thu)  No.208  

花冷えの日が続きますが、今日も光ちゃんは、朝起きて帝劇へ行こうとしたかしら?
なんか2ヶ月間身体に沁み込んでいそうで、ふとそんなことを思ってしまいました・・・(笑)
光ちゃん、カンパニーの皆さん、スタッフや帝劇関係の皆さんもお疲れ様でした、&帝劇の神様も。
 
それこそセットの解体だけでなく、舞台裏や1階の一部はすでに解体が始まっているのかもしれませんね・・・
いろんな意味で、3月は出会いと別れの季節です。
古くからのメル友さんと最近はメールもしていないのですが、不思議とソロコン等でも、会う確率が高かったのですが、今回は無理かなと思っていました。
それがなんと28日の観劇の日に、昼の部と夜の部の間にばったりと出会い、歓声を上げたものです(笑)
今度はソロコンで会おうなんて言い合いましたが〜、いかがなものでしょうか、光ちゃん〜?
そして、来年はまた新装帝劇で、会えるといいですね〜。
写真は、千秋楽を祝して、桜ではなくて我家の椿の花の宴です〜♪

私も1から光ちゃんの手による新作を期待していたので・・・う〜ん、ざんねん組みです。(笑)
あの一糸乱れぬ群舞や、バックダンサーさんの明るいキラキラとした笑顔やらを見ていると、本当に素敵なカンパニーに仕上がったのが感じ取れました。
皆で一生懸命頑張ること(走り続けること)は、見えない何かではなく、きちんと見て取れる成果に繋がっていると思いました。
そして、そういうカンパニーと光ちゃんなら、危険な階段落ちやロープ技がなくても、歌って踊って、”ショーほど素敵な商売はない”と言わんばかりの楽しい舞台で魅了してくれること間違いないと思います〜♪
V6の坂本先輩が、「27歳がピーク」と言われたのは、経験を通して出た言葉だと思いますし、来年28歳を迎える光ちゃんにとっては、ありがたい言葉でもある気がします。

そして私がこのストーリーに入れない1つに、主人公が死ぬことはどうだろう?という点。
物語(小説)や過去の出来事を扱ったものには勿論多くあります、でも時間的経過があるので、このようなリアルに実在と紛うような人物設定のものとは受ける印象は大きく違うと思うからです。
もう一つは、ここから"義"を感じることがないから、私はすっきりしないのだと思いました。
たとえば愛する人(仲間でもよい)を守るため、また血生臭い惨状を観客に見せない為に、とった行動ならまだ分かるのですが・・・なんだかどちらも自分のやりたいことを選んでしまって。(¨;)
それが、最後のCONTINUEでのコウイチの「ちょっと違っていたのかも」の1人反省になるのなら・・・時すでに遅く、寂しすぎる。
Show must go onの前に、時には止まることも必要だと言うことになるのではないでしょうか、それこそ舞台人も人としてのShow must go onでは。と、私の呟きでした・・・
更に進化させて、更に心温まるものを期待したいです〜

獣王星の主題歌のCD化、ソロコン等・・・夢が一杯ですね〜
充分に身体のケアをして、また走り続けてください。
光ちゃんにしかない華が、いつまでも優美に輝きを放っていて欲しいから〜♪


檸檬
     ...2006/05/05(Fri)  No.221  

今日は爽やかな五月晴れのこどもの日でした。
イカリさんのチビ王子くんは、初節句ですよね♪
わが息子の初節句は遥か昔のことになってしまいましたが、実家の両親や主人の親戚が集まってにぎやかにお祝いしたことを、ふと思い出しました。
鎧兜や五月人形などもたくさんありましたが、今はみんな押し入れの中です。
息子もオッサンになってしまいましたが、何とか無事健康に育ったかな(笑)
チビ王子くんも、健やかに元気な男の子に成長されることをお祈りします。

イカリさんが書いていますが、私も Top Stage の記事はいろいろと興味深く読みました。
武田真治さんのように「僕が演じているのは芸術じゃない」という人がいるかと思えば、自分自身について「芸術」だの「才能」だのと臆面もなく言う人もいるのですね。
以前、近田春夫さんが週刊文春のコラムで、この人(T君)を評して、
「影響される大人なり友人に、鋭い指摘の出来る人が少ないということか。」
と書いていましたが、全てはこれに尽きるのではないでしょうか。
「売れている時の人気者に世の中、とりわけTV局の評価は甘い。その自覚を持てるかどうか。自身の状況を俯瞰する位置にまで視線を持ってゆけるか。」
とも書いていますが、この自覚がないからこそ、「自分の芸術が日本の中を乱舞する」などと言ってはばからないのでしょう。
「比較や俯瞰をしない自己完結に、もちろん発展や成熟は望めない。」
とは、作家の高村薫さんの言葉です。
周りから鋭い指摘をされることがなく、自分自身を比較や俯瞰しない、要するに“井の中の蛙”や“裸の王様”状態というのは、この人ばかりとは限りません。
光ちゃんにしても、他山の石とすべきことだと思います。

ですから、Top Stage で蜷川幸雄さんが語っていることは、非常に共感を覚えました。
「幼児化されて、記号化されてることに疑いもなしに戯れている若者たちというのは、日本だけですよ。他者に対する関心や世界に対する関心が、もっと巨大であってもいいんじゃないか。演劇だけが、芸能だけが、なんでこんなに小さいところで戯れているんだろうと思う。
だから、僕は少なくとも、身近にいる若者たちが世界性を獲得しながら、仕事をしてくれるようになればいいと思っているんだ。」


そして、『白夜の女騎士(ワルキューレ)』に出演する松本潤君について語っているところで、
「(松本潤君、小栗旬君、藤原竜也君)成宮君、二宮君、みんなほぼ同世代で、優秀な連中がずらっといる。
でも、現実には彼らはサブカルチャーの中でしか育ってないから、もっと違う世界があるんだということを教えたい。彼らのいるところでは出会えない企画を用意するのは、ジジイの役目なんだよ(笑)
そうすることによって、彼らはもっと優れた場所へ行けるし、それだけの才能を持っていると思うから。異質な場所へ、ちゃんと連れて行かなきゃいけない。」

確かに、「もっと違う世界」や「異質な場所」を知らずに、また知っても行くことができなければ、井の中の蛙で自己完結してしまうのも無理のないことかもしれません。
こんな親切なジジイに(笑)、連れて行ってもらえる人は本当に幸運ですね。
光ちゃんが去年、「自分を壊して改造してくれる人に出会いたい」と言っていたけれど、潤君や二宮君にとっては蜷川さんがそういう人になるんでしょうか。ちょっと羨ましい話です。

ただそんな人との出会いがなくても、たくさんの芝居を観て(二宮君は去年30本観たと言っていました)、たくさん本を読んで、また劇評などをいろいろ読むことも、自分自身の視野を広げることになるのではないかと思います。
たとえば、先週の日曜日の毎日新聞に掲載された演劇ライターの徳永京子さんの劇評に、こんな一文がありましたが、光ちゃんだったらどう感じるでしょうか。
「シリアスなテーマを表現するのに、過剰に重苦しい演技や演出をしてみせる人たちがいる。
そうした舞台は明らかに客観性を欠いているので、届けたいメッセージがどんなに輝く真理でも客席には届かない。
反対に、深遠なメッセージを明るい表現で上演する場合、正反対のベクトルをかける工程から冷静さが発生するはずで、観客にとって『笑いながら深く響く作品』が生まれやすい。
多くのミュージカルは涙も濃く、感動もハイテンションで、その熱さが感想の幅の狭さとなり、ついていけない場合が間々ある。」



檸檬
     ...2007/04/09(Mon)  No.312  

会報64が来ました。
光ちゃんのSHOCK語りが、相変わらず熱いですね。
Endless SHOCKになって3年目。光ちゃんの語っていることが毎年少しづつ変わってきていて、舞台のパフォーマンスだけでなく物語も人物も進化しているのだな〜とよくわかります。
コウイチという人物については、今回語っていることが一番納得できました。
私から見るコウイチは、3年前は自信満々で暴走する傲慢な人間でした。
去年は、その横暴さが少し影を潜めた感じのコウイチであり、今年は自分自身も周りが見えなくなり混乱したまま悲劇を引き起こすコウイチというように、役の性格も変えて演じていたわけですね。
あの真剣をトウマに渡すという行為が、光ちゃんの言うサイボーグ的な超ヒーローがやるのであれば全く理解できませんが、トウマと同じく悩み迷っている青年がその瞬間自分自身を見失っての行為というのであれば、確かに納得はできます。
でも、そうなると、「夜の海」でのトウマ、リカ、アキヤマのコウイチ賛美のセリフが矛盾してくるのであり、いっそあの3人のセリフがなければ見る人それぞれの解釈も考え方もでき余韻が残るストーリーとなるような気がします。

それにしても、このEndless SHOCKに関しては、光ちゃんの考えと私の考えは永遠に相容れないものになりそうです(^^;
なぜなら、光ちゃんが言っている「一番大事なメッセージである『〜must go on』」とは、生きていてこそのものだと私は思うからです。
金八先生ではないけれど(笑)、人が生きると書いて「人生」です。
人は生きるために生まれてくる、人生とは生きることをmust go onすること。
「死んでもなお、懸命に走り続けるコウイチ」というのは、パラドックスであり絶対にあり得ないものです。
このストーリーの場合、「死」というものが何かの象徴である解釈は成り立ちません。
ゴーストとしての復活は、他の物語にあっても、神に等しい超能力を持ち奇跡を成し得るものですから、死んだコウイチが走り続けたとしても当然のことでしょう。

文芸春秋3月号に掲載されている柳田邦男さんの「新・がん50人の勇気」を読むと、がんになり余命宣告をされた方たちの、死に至るまでの生き様が描かれています。
3月号では、文学者の米原万理さん、山本夏彦さん、元NHKアナウンサーの絵門ゆう子さん、学者の高坂正堯氏、矢内原伊作氏のことが書かれていましたが、どなたも最後まで創作活動や研究を続けていらっしゃいました。
柳田さんは「学者や作家のように、自己表現の仕事を持っている知識人の場合、事態を冷静に受け止め、最後まで『書く』という仕事やめない人が多い。『書く』という行為は、アイデンティティの持続や生きていることの自己確認や生きがいの標識であると同時に、身体と精神のいのちのエネルギーを引き出す誘発剤なのではないかと思う。」と書いています。
ジェネジャンに出演された奥山さんも小説を残したいと病を押して書いていらっしゃいましたね。
私の上司で40代で亡くなった弁護士さんも、余命3ヶ月と告知されてから退院し、毎日事務所に出勤して仕事をされていました。
また、学者や作家でなくても、『自己表現の仕事』である役者さんたちも、手術より映画出演を選択された松田優作さんや、先日テレビでやっていましたが勘三郎さん一門の中村源佐衛門さんも重篤になるまで舞台を勤められていました。
現実には、死を前にして、死の恐怖に打ち勝ち、絶望することなく、最後まで人生を全うしようと走り続ける人達がたくさんいるわけです。

そして、「〜must go on。だけど、何のために一所懸命走るのか。」「“コウイチは、消えることがわかった今でも走り続けている”んだけど、みんなに求められてこそ、走れるってこと。コウイチはこいつらのために走りたいって状態。」「だから、最後のショーでは、全員が全力で走れる」という意味は、とてもよくわかるのですが、ショーに限って言えば何か違うという感じがします。
ショーは観客があってこそのもの。“Show must go on”というのは、単にショーを続けるということではなく、観客を楽しませ続けるというのが、本当の意味なのではないでしょうか。
確かにコウイチが死んだのは事故ではあるけど、観客を楽しませるためのショーであれば単に続けるためにああいう選択はしないのではないかと。
コウイチの考え方は、仲間が同じ方向に向かって全力で走るということが一番にあって、その結果が良いショーになるのか、観客不在の仲間内の自己満足というものになるのか紙一重のような気がします。

そう言えば、前回の会報を読んだ時、デジャヴ感を味わいました(笑)
「みんな、ぶったるんでるから、オレが代表してカツをいれてやってるんだ!」
「そうじゃないだろ、お前はただ自分の見せ場がなくなったから怒ってるだけだろ!」という楽屋のシーンが浮かんできました。
今回の会報では、「コウイチは何も見返りを求めて走っていない。名誉とかそういんじゃなく、とにかく、いいショーを作りたい。でも、トウマは自分の名誉のために走ってる。走る方向性が違うわけ、2人は。」と光ちゃんは言っていますが、それを現在のKinKiに当てはめて考えてみることはないのでしょうか。
KinKiでやっていることが、本当にファンや観客を楽しませることなのかどうか。
2人の方向性が違っていないかどうか。2人とも全力で走っているのかどうか。それで、本当にいいものができるのかどうか。

もう一つ、光ちゃんの言葉の中で、これもちょっと違うと思ったことがあります。
「カーテンコールになると、みんな、素の自分に戻るわけじゃない。あれは、結構、観る側にとっては残酷だなと思うんだよ。要するに、あのカンパニーは、カーテンコールの時点では、もうないってことだからね。」
いやいや、そうじゃないですよ、と私は言いたいです。
芝居やテレビドラマ、映画、そして小説など全て、そこには架空の人物の架空の現実が描かれているわけですが、それが確かな存在感を持つと、観終わったあと読み終わったあとにも、観客・読者の心の中にはその人物が生き続けています。
私が最近観たドラマでは「拝啓、父上様」が終わったあとでも、神楽坂にはあの人達が暮らしているような気がしています。
「リモート」の氷室警視はまだ地下室の中にこもっているのかと、「天使が消えた街」の達ちゃんは今頃どこで何をしているのかと思ったことがある人は多いんじゃないでしょうか。
舞台でも、カーテンコールで挨拶をする役者さんたちを見て、物語の人物が消えてしまったと感じることはありません。
逆に言えば、光ちゃんは生きいて元気よく挨拶していても、コウイチは死んでしまってもう彼の人生はない。
だから、非常に空しさを感じ、そちらのほうこそ残酷です。

ゴーストとして復活し、みんなの絆と夢の再生を見届けて消えていく、という役回りはMILLENNIUM SHOCK の兄貴の立場であれば納得できるのだけれど、前途ある若者という設定で主役としてのコウイチでは、あのラストにカタルシスが得られない。
主役だから死んではいけないというものでは、もちろんありません。
1月に観た新感線の「朧の森に棲む鬼」では、主役の染五郎さんが壮絶な死に方をしますが、大悪人ですから死んで当然という納得ができると共に、最後に人間味のある優しさを垣間見せるために、観ている者の心が救われるのです。
舞台は、ゲームのように、幕が下りればリセットされて死んだ者も生き返るというものではありません。
何度観ても、そのたびにコウイチが死んだ悲しみを抱えて劇場を出ることになるのです。
どうやらここに光ちゃんと、死なないコウイチの物語を見たいという私たちのギャップがあるようですね。


イカリ
     ...2007/04/10(Tue)  No.313  

4月に入って、早くも10日、花が咲き、百花繚乱の季節です。
しばし旅行記に没頭していて、いつの間にやら日にちだけが過ぎ去る感じです。(笑)
お陰様でようやく完了しました。
自分のホームページ(家族用)にも、貼り付けてあるので、さっそく父がメールをくれました。
「大変なご労作で感心しました一日目だけ読んだに過ぎませんが良くも記憶し整理して纏めたものと感心するばかりです。
今はデジカメ等便利な道具もあつての事ですが良い思いで作りが完成したとお喜びを申し上げます。
お母さんへは今日一日目だけ印刷して渡そうと思います。」
いや、びっくりしました。
何か先生からもらったような?(笑)はたまた明治の人から、いえ父は大正生まれですから大正の人からもらった手紙のようです。(笑)
それが、手紙ではなくて、父とのメール交換というところが現代版です。(笑)
まあ余り父に褒めてもらった事はないし、結構辛口の人なので、それに父はカメラが趣味なので、オランダ・ベルギー紀行の時も「たいした写真はないな、風車ぐらいだな」と言われたので、今回はちょっと感激です。(笑)
母の分を印刷とか・・・。しかし私は読む人のことを考えて書かなかったですね、母まで読んでくれるのなら、もう少し短くまとめれば良かった、と今頃後悔しています。
読んでくださった方、本当に長くて済みません。m(__)m
父が書いているように、確かに私の思い出作りで、老後の楽しみと言うか、あんなところへ行って、こんなことを考えていたのね、といつか眺めることもあるだろうと思っています。
それと、本当はもっと大好きなモーツアルトについて書くつもりだったのです。
これはファン目線で書くと、後で読んだ時にきっと恥ずかしい思いをすると分かっていたので、やめて引用文だけにしました。(笑)
かつて、光ちゃんのドラマ考を書いたのですが、今読むと、”頭から湯気出して書いているこんな人の顔を見てみたいものだ”と正直思いますので。^^;

堤監督も、光ちゃんも無事に東京の桜の宴に間に合いましたね、先週の土曜日に帝劇に行きましたが、道中葉桜のところもありましたが、まだ十分花見ができました。
「なんだかとんでもないドラマ」だそうですが、どういう具合に、とんでもないのか?が楽しみです。
きれいな人のアクションシーン満載のすし屋さん?王子さん?・・・、いやヒーローでしたか、検討がつきませんね、またそんな映画も見てみたい気がします。(笑)
堤監督、よろしくお願いします。

話は元に戻るのですが、帝劇の「マリー・アントワネット」を娘と観て来ました。
ちょうど旅行記を書いている最中で、しかもマリー・アントワネットの育った宮殿や食卓や肖像画まで見てきたことを思い出し、なんと身近に感じられたことか。
そう言えば、室町時代でも江戸時代でも、日本人だから経験がある訳でもなく、色んな物から想像する訳ですから、それはヨーロッパであっても同じことです。
山口祐一郎さん、涼風真世さん、新妻聖子さん、鈴木禅さん、今拓哉さん、他皆さん、歌が上手くて生オーケストラですから、素敵でした。
今年再演ですが、昨年より流れが良くなった感じがします、こなれて無駄が無くなった・・・若干セリフが精選されたような気がします。
前回フェルセン役が若い井上芳雄さんだったのですが、今回は今拓哉さんでした。
それでも、役として印象や台詞回しがほとんど変わらないのには驚きました。
これは個々人が決まった役に徹する事と、やはり演出家、舞台監督がいるからだと思います。
ただそれでもそれぞれの持つ雰囲気は違うし、前回は姉のように慕う恋という感じだったのが、今回は情熱的な恋という感じがしました、これは演出そのものが変わったのかもしれませんが、面白いと思いました。
ただ、やはり山口さん演じるカリオストロの錬金術師で、狂言回しで、不思議な力を持つ役が、今一つ分かりにくいのと、劇作家のボーマルシェの狂言回し的な役と、かぶる感じがします。
と色々言いつつ、私も3回目です、観劇、大好きですから〜。(笑)

光ちゃんの会報でのSHOCK語りも相変わらず熱いですね、私も檸檬さんが書いてくれているように思うことが多いのですが、観客はイマジネーションを持って観ているということです。
内容がフランスならそこへ気持ちは飛んでいくし、その人物の心情も想像が出来るし、光ちゃんのように階段落ちをしなくても、あーと叫んで、後ろへ飛ぼうが、暗転しても、階段を落ちたと想像することが出来ます。(*^^*)
歴史上の人物でたとえばマリー・アントワネットが暖かいベットで突然死していたとすると、歴史を変えなくてはいけなくなりますが、SHOCKは現代物の創作劇で、光ちゃんが作るのでしょう。(笑)
「マリー・アントワネット」に生オケと素晴らしい歌唱があってもダンスはありません、光ちゃんの舞台は息をつく間もないくらいの展開のスピーディさに若さ、群舞やソロダンスの素晴らしさ、楽曲の良さ、目を見張るフライングの数々にパーカッション、あっと言わせるものがいっぱいあるのですから、家路につく観客に希望を持たせて返して欲しいと思います。
アキヤマは自分が渡したものが真剣でそれがコウイチの怪我の一因ということで、一連のシェークスピア劇を夢にまで見るわけで、それが人間だと思うし、死んだとなると一層深刻ですよね。
また、それが殺意無き事故なら、トウマのその後の苦悶はいかばかりかと推測します。
光ちゃん自身があれは単なる事故と語るのなら、失ったものはカンパニーにもコウイチにも大きすぎると思います(尊い命が無駄になる)、お互いの信頼関係や絆を失うだけでも大きな事だから、最後に皆で力を合わせての復活劇でも充分過ぎる感動がありますから。
あのコウイチ率いるカンパニーは今日もどこかで皆演じていると思えると、私達の心も一層ハッピーに過ごせるのですよね。
素晴らしいものを見たという感動と、温かい心はいつまでも消えないものですから。






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